2025.06.30 Monday
私はよく「目に見えないものは無いのと同じ」という言葉を発する。精神の病がもたらす症状というのは、ある意味一種の「幻覚」であるとも解釈できると私は思っている。
この思考は何も精神病患者の苦しみを全否定するものではなく、周りの人間がその患者を見た時はそうである、という意味が込められている。
患者が暴れる事も、口汚く誰かを罵る事も、自分を傷つける事も、全て周囲の人間にとっては加害者が患った病気が見せる「幻覚」なのである。
その暴言も暴力も加害者の本来の姿ではないからであり、病が落ち着けばその行動は嘘のようになくなることもあるからだ。
彼女(と呼んで良いのだろうか)は幾度も私に「幻覚」を見せてきた。自らを責め、幾度も自分を傷つけそうになっては私が落ち着かせてきたが、私は遂にその「幻覚」を「幻覚」だと認識できずに暴言を吐いてしまった。今は不安定さを加速させるようなとても悪いことをしてしまったと反省することしかできない。
そういうことがあったとしても、私と彼女の間の愛情は紛れもなく存在し、それは真実なのだ。「目に見えないものは無いのと同じ」かもしれないが、我々にとっては確かに「在る」のだ。我々が「そこに在る」と思っているのだから、少なくとも我々の中では「確実に存在する」ものなのだ。
何度それが壊れそうになったとしても、その破壊行動は一時的なものであり、永遠に続くわけではない「幻覚」だ。穏やかになればその幻が消えてなくなると、私は十分理解している。
だからこそ、彼女がそれを壊そうとしても、私は元通りにはならないかもしれないが丁寧に組み立て直していくのだ。
私が彼女を一途に思い続けるからこそ、この組み直しの技工は継続して行えるものだ。一途で何が悪いのか。本当の恋は死ぬまでこれきり。
| 小田島 | 小田島の思い | 15:35 | comments(0) | - |