2025.07.02 Wednesday
3年前から使っているWebメールのサーバーがいっぱいになりそうだと通知が来たので、余計なものを削除するのも兼ねて色々と見返していた。SDGsの流れで名古屋のあちこちに設置されていた、賞味期限が切れそうな食品を安く売るフードロス対策の自販機で買い物をした時のメールが大量に残されていた。「fuubo」という名前だったらしいが、もはやその自販機は名古屋のどこにも見当たらない。
携帯電話でルーテル教会の聖書日課メルマガを購読していた時の名残まで出てきた。この頃は自分が非常に信心深い人間だったとすぐに理解できる。止めたり始めたりを繰り返しているのが見受けられるのも私らしいなと思った。
私がパソコンケースとして使っているクロッキーブックのマルチケースを買ったのは3年前の今頃だったらしい。3年前の今頃、私はリポビタンDを飲むのにはまっていたらしい。元職場の大先輩が「疲れが取れてよく眠れるものもある」と強く勧めて差し入れとして私に買ってくれていたのを思い出す。
変な別れ方をした元恋人からの再会を喜ぶメール(その後再び音信不通となり、消息は不明)、悪友の送りつけてくる怪文書、意味不明な迷惑メールの類までサーバーには残っており、今となっては絶妙に笑いを誘う。
そんな中に紛れていたのが、もう5年以上顔を見ていない祖父からのメールだった。
「こういうものには疎いから、ごめんね」という書き出しだった。3年前の夏の時点で、祖母は押し車を使っても自由に歩けないという状況であり、祖父自身も暑すぎて施設から余り外に出ていない、という内容が書いてあった。疎いと云いつつも「LINEで通話ができたら嬉しい」と云う内容まで添えられていた。
その3年前の夏のメールを最後に、祖父からの音信は絶えた。
そこから夏を数回迎えたわけだが、祖父祖母はどうしているだろうか。私が一方的に送っている手紙について「喜んでいる」とは人伝いに聞いているが、本人から直接その気持ちを受け取ったわけではない。
メールをもらえたあの夏が「最期の夏」なのだろうかと不吉ながら思ってしまうが、思いたくない私も確かにいる。
また、何かの形でやり取りせねばならない。やり取りができるうちに。
| 小田島 | 小田島日記 | 20:10 | comments(0) | - |