2025.09.02 Tuesday
なにもかもだめだとおもったが
何もかも終わりだと思ってしまった時期があった。
しかもその時期は何度も不規則な周期を持って訪れ、最近に至ってはそれの終わりすら見えない状況だった。
今私がこの文章を投稿しているのは、「何もかもだめな時期」の「一時的な終わり」を感じているからである。
一時的な終わりというから、またこの「何もかもだめな時期」は私を襲うのだと予測している。今までも「終わった」と感じてからしばらくして、またその時期は訪れた。私の精神の具合にも「四季」、否、「二季」が存在するのだろう。
今年の夏は本当に暑い。間違いなく去年よりも格段に暑い。こんな気候で心身がやられないほうがおかしいくらいには異常な気象状況だ。
だが、その夏が終わりそうだというのと同時に、私の精神も少しずつ穏やかになり始める兆しを見せている。
なんとか、山は越えたような気がしている。
今の状況が今すぐにどうにかなるということは期待していないが、そろそろ色々な面で安定したいと願うばかりだ。朽ちかけの花にじわりじわりと養分を与えて実を結ぶことを願うように、私にも少しばかりの継続的な希望があることで未来の平和が生まれるのを願って、前を向きたいものだ。
冬は必ず春になると云うが、私は今年の冬を越せるだろうか。越したいものだ。いや、必ず越さねばならない。何かのために。
しかもその時期は何度も不規則な周期を持って訪れ、最近に至ってはそれの終わりすら見えない状況だった。
今私がこの文章を投稿しているのは、「何もかもだめな時期」の「一時的な終わり」を感じているからである。
一時的な終わりというから、またこの「何もかもだめな時期」は私を襲うのだと予測している。今までも「終わった」と感じてからしばらくして、またその時期は訪れた。私の精神の具合にも「四季」、否、「二季」が存在するのだろう。
今年の夏は本当に暑い。間違いなく去年よりも格段に暑い。こんな気候で心身がやられないほうがおかしいくらいには異常な気象状況だ。
だが、その夏が終わりそうだというのと同時に、私の精神も少しずつ穏やかになり始める兆しを見せている。
なんとか、山は越えたような気がしている。
今の状況が今すぐにどうにかなるということは期待していないが、そろそろ色々な面で安定したいと願うばかりだ。朽ちかけの花にじわりじわりと養分を与えて実を結ぶことを願うように、私にも少しばかりの継続的な希望があることで未来の平和が生まれるのを願って、前を向きたいものだ。
冬は必ず春になると云うが、私は今年の冬を越せるだろうか。越したいものだ。いや、必ず越さねばならない。何かのために。