2025.07.31 Thursday
体調不良
昨日深夜、「見たいものがそこにある」という理由だけでTwitterのアカウントを再取得した。基本的に(Null氏の投稿を)閲覧するためだけのアカウントだが、ブログに書くほどでもないアレコレをごちゃごちゃと投稿していた。
結論から云わせてもらう。しんどい。冗談抜きで胃痛と吐き気がする。
今の大抵のSNSは文字通り「見たいものだけ見られる」わけではない。私のことを分かっているようで何も分かっていないアルゴリズムの「おすすめ」の機能はどこにでも存在する。
それが嫌だと云ってありとあらゆる手段を使い「本当に見たいものだけ見られる」ようにして、フォローもむやみに増やさず、非公開のアカウントにすることで外野からの接触を完全に拒み、今回は快適に使えるようにしたはずだった。
どうやら私がSNSを始めると吐き気を催すのはそれだけが原因ではなかったらしい。
ブラウザのお気に入りからTwitterを削除し、パスワードマネージャからもTwitterのログイン情報を消した今でも頭痛に胃痛、吐き気、そして喧嘩を売られたときのような激しい苛立ちが収まろうとしない。
今の世の中はスマートフォンを持つことが当然で、スマートフォンありきのサービスも山のようにある。SNSでしか情報を発信しない飲食店もかなり増えてきた。今日も「LINEを使わねばならない」というしょうもない理由だけで二台持ちのガラケーの片割れからSIMカードを抜いて、さっさと売り飛ばそうとしていたスマートフォンに泣く泣く差し替えていた。LINEは知識が有ればガラケーでもメッセージのやり取りに限れば十分利用できるが、それ以上のことを望まれればスマートフォンを使わざるを得ない上に、パソコン版はスマートフォン版がなければ働かない。
私は現代日本の同調圧力に潰されている。時代の流れについていこうとしない人間は、それがいくら本質的に正しかったとしても、この世の中では淘汰される運命にあるのだな、と思わざるを得なかった数日間だった。
長々語った気がするので今日はここまでにする。人類にインターネットを扱わせるのは無理!
2025.07.20 Sunday
正義とはなにか
日曜日の朝である。
私はあまりテレビを見ない。見るといっても、野球中継とニュース以外の番組は自発的に見ることがほとんどない。
そんな私だったが、今朝はなんとなくテレビをつけたら放送されていた「キミとアイドルプリキュア」をぼんやりと見ようと思った。
プリキュアはNull氏が好きだと云っており、心の中でそのような事も思っていたからだろう。
私はNull氏以外にも身近にそれが好きだという人がいる影響で、ぼんやりとした概要は説明できるくらいにストーリーは理解している。
内容としては大まかに、「輝く物を良しとする正義、それを強く憎む悪が存在する世界で、悪は輝く人々の幸せを壊して世界を暗黒に包もうとするものの、正義によって企みは阻止される」という物語だと思っている。
今回は悪と正義が戦わずに対話をする場面があった。
「そんな厚着をしていては熱中症になる」
と汗をかいた悪にハンカチを差し出す正義。そしてこう告げる。
「もう、キラキラを壊すのはやめにしないか」
しかし悪は頑なに、
「キラキラ輝くものは目障りだ」
と拒む。その後悪は幸せな人間の輝きを奪い始める。
このやり取りに私は深く考えさせられるものがあった。
幸せそうにしている人間の輝きを奪うことで、生まれるものとは何か。世界を闇に包むことで、幸せになるのは誰か。
私も自分が大変な肉体的・精神的苦痛を覚えた経験があることから、心を極限まで病むと「幸せに生きている人間が憎たらしい、壊してしまいたい」と考えてしまうことがあった。
ただ、このやり取りの正義の放つメッセージから、
「皆がキラキラと輝いていてほしい、幸せで居てほしい」
という強い思いを私は受け取った気がする。
誰一人幸せになってはいけない人間は居ないのだと。
正義は悪にすら優しく手を差し伸べる時がある。
正義があるからこそ悪があり、悪があるからこそ正義があるとは云うが、それぞれ平等かつ公平に、幸せになる権利はあるのだと。
私は今自分のできる仕事をすればいい。それぞれに役割はある。
そんな事を思いつつ、少し頬が濡れていることに気がつく朝だった。
2025.07.02 Wednesday
身辺整理というのは大げさか
3年前から使っているWebメールのサーバーがいっぱいになりそうだと通知が来たので、余計なものを削除するのも兼ねて色々と見返していた。
SDGsの流れで名古屋のあちこちに設置されていた、賞味期限が切れそうな食品を安く売るフードロス対策の自販機で買い物をした時のメールが大量に残されていた。「fuubo」という名前だったらしいが、もはやその自販機は名古屋のどこにも見当たらない。
携帯電話でルーテル教会の聖書日課メルマガを購読していた時の名残まで出てきた。この頃は自分が非常に信心深い人間だったとすぐに理解できる。止めたり始めたりを繰り返しているのが見受けられるのも私らしいなと思った。
私がパソコンケースとして使っているクロッキーブックのマルチケースを買ったのは3年前の今頃だったらしい。3年前の今頃、私はリポビタンDを飲むのにはまっていたらしい。元職場の大先輩が「疲れが取れてよく眠れるものもある」と強く勧めて差し入れとして私に買ってくれていたのを思い出す。
変な別れ方をした元恋人からの再会を喜ぶメール(その後再び音信不通となり、消息は不明)、悪友の送りつけてくる怪文書、意味不明な迷惑メールの類までサーバーには残っており、今となっては絶妙に笑いを誘う。
そんな中に紛れていたのが、もう5年以上顔を見ていない祖父からのメールだった。
「こういうものには疎いから、ごめんね」という書き出しだった。3年前の夏の時点で、祖母は押し車を使っても自由に歩けないという状況であり、祖父自身も暑すぎて施設から余り外に出ていない、という内容が書いてあった。疎いと云いつつも「LINEで通話ができたら嬉しい」と云う内容まで添えられていた。
その3年前の夏のメールを最後に、祖父からの音信は絶えた。
そこから夏を数回迎えたわけだが、祖父祖母はどうしているだろうか。私が一方的に送っている手紙について「喜んでいる」とは人伝いに聞いているが、本人から直接その気持ちを受け取ったわけではない。
メールをもらえたあの夏が「最期の夏」なのだろうかと不吉ながら思ってしまうが、思いたくない私も確かにいる。
また、何かの形でやり取りせねばならない。やり取りができるうちに。
2025.06.18 Wednesday
Al Amal
※小田島、これくらいのアホ発言ができるくらいには気分が落ち着いてきたと思ってください。暑すぎるので火星に移住したいです。イーロン、ちゃんと計画しろよ。
全ての学問は繋がっている。
人の営みには長い歴史がある。日本人がどこから来たのかにも歴史があり、マクロで見ると人類の起源、生命体の起源、宇宙の起源と主語が大きくなっていく。
(中略)
従って私が日本の少数民族を民族学的に研究したいと望むのと、惑星探査に関心を持つのには脈絡があるといえる(飛躍にもほどがある)
2025.06.13 Friday
モブログ投稿テストの為のアホ記事
小田島です。
このブログサービスにはメールによって記事を投稿できる「モブログ」という機能があると知っていましたが、一度使ってみようと思い、以下のアホ文章を書きます。笑ってください。
†
幼少期に私の周囲で「RUNNER」という歌のしょうもない替え歌が流行った。
「走る、転ぶ、血が出る、傷(皮膚だった気もする)が裂けて骨が見える
病院、病院、駆けつけ、適当な手術して死んじゃった」
小学生の男子がいかにも好きそうな歌詞である。大人になった私は今、この歌詞に思いを(なぜか)寄せている。
「その死因とは輸血をしなかった事による失血性ショックではなかろうか、適当な手術というのならそれがあり得る」
……と。
物事を嫌という程の種類経験した私らしい考察ではないかと、我ながら思う。ちなみに私の行きつけの煙草屋のおば様は実際に「傷が裂けて骨が見える」を知人で目撃した事があるという。生きている人間の骨をX線なしで見るなど一生に一度もない。見たくはないものだ……。
2025.06.13 Friday
最近のいろいろ
セ・パ交流戦を渋い顔で観ている小田島です。
今後サイトに載せるまでもないボヤキなどはこちらにドンドコ投稿していこうと思います。
1.Null氏について
Null氏が遂に私と共にブログを始めることとなりました。
人生いろいろ、男も色々、女も色々ですので我々の投稿も色々です。楽しいことも投稿しますが、少しばかり苦しいことも投稿するかと思います。人生は一度きり、美しく咲き乱れたいものであります。
2.サスペンダーの機嫌が悪い件について
私の愛用しているX型のサスペンダーが最近仕事をサボるようになりました。
サボるというのは、ズボンを吊りたがらないのか、何かと金具がぱちんと弾けて外れるのであります。これがY型のサスペンダーであれば、弾けた金具がゴムのテンションによって思い切り跳ね、最悪の場合裸眼の人間の目に当たり失明させるところでありました。自らの目も危ないです。
サスペンダーとは腹囲の大きな人間がベルトがない故に使うことが多いようですが、私はむしろ逆であり、腹囲が小さいためにうまい具合にベルトが見つかりません。それ故のサスペンダー愛用であります。
100均のものはすぐ駄目になってしまう、だが高すぎるものは買えないということで、某所にて600円ほどで入手したX型のそれを愛用しております。また某所で新しいのを買いますかねえ……。
まだまだ思うことはありますが、今日はここまでと致しましょう。では。