2025.06.25 Wednesday

何もできない日は存在してても良い。
何をするのも気力が湧かなければできない。当たり前だが、「何もできない」ことが苦痛なのだ。誰だってそうかもしれないけど。
こういう日は一日の流れが遅くて遅くてたまらない。早く夜になって睡眠薬を飲んで強制的にシャットダウンをしたいのだが、そういう日に限ってやたら一日が長い。
ひたすらベッドに突っ伏しているが、眠っているわけではなく、目を閉じているだけで、脳は覚醒している。
動画を見る気力もなければなにかゲームをすることもできず、作業をすることもできない。音楽を小さく小さく流してベッドに伏している。

しかし、「何もできない日」は存在してても良い。私は積極的に「休め」と他人に言いながらも自分の限界を知らず、気がついたらぶっ壊れている状態が多い。それに気がつけず毎回人とぶつかるのだが、いい加減学びたいところである。

2025.06.25 Wednesday

何に関しても同じ事が云えるが、摂り過ぎは身体に悪い。
1日3食というのも西洋文化の陰謀であるが、概ねその時間が決まっているので日本人は身体に悪いと思わないようだ。もはやルーティン化されてもいる。
そこでそのルーティンというのか決まりというのか、喫煙にもいつ行うのかの規則をつけるべきかと思う。
朝食後に何本、夕の仕事終わりに何本。それ以外はむやみに吸わない。
ニコチンとベンゾ系精神安定剤は程度の違いはあれど依存性がある。それ故乱用は避けて「服用」したいのだと云いたいのだ。
正しく使うからこそ本来の役割を果たすのが薬だ。乱用するからよろしくない結果が生まれるのだ。
ちなみに私が加熱式の煙草を好まないのは、「そうまでしても吸いたい訳では無い」というところが大きい。紙巻き煙草が禁止されているなら吸わなくてもいい。私はそこまでニコチンには依存しておらず、そこまでの必要性を感じていない。

2025.06.16 Monday

SNSやめるためにここに来たのにここにきて数日後にSNS再開しちゃった件
人恋しくなった(言い訳)。というか病みがちな時に「優しい人」に囲まれてヨチヨチしてもらうのが常だったから、それが恋しくなってしまった。後悔は若干している。辞めたいから、という意思でブログに参加させてもらう形で始めたというのに、3日後くらいに再開した。むしろ一ヶ月以上も辞められていたことを褒めてほしいくらいではある。悲しいかな、私は重度のSNS依存症なのである。詳しくは書かないが、そもそも物質依存症の診断を受けているくらいで、脳味噌がそういう作りになってしまっているのである。悲しい。
寂しいときにかまってもらうのはおだじま氏だけでいいはずなのに(メンヘラ仕草)。ただ、お互いの生活時間帯が違うのは当たり前なので、かまってほしいときに彼は用事をしていることも当然ある。そしてこちらも「寂しい」と一言送られたときにすぐ返事ができないこともある。それが当たり前だとわかっていても、多くを求めてしまうのでセーブしなければならない。先走る気持ちと落ち着いて気持ちを整理する時間を作らなきゃいけない、という焦燥感。
いっぱいいっぱいだったのかもしれない。

インターネットやめろ!

2025.03.01 Saturday

知立駅周辺に通勤していた際に毎日通っていた喫茶「グラッペ」が、昨年末に悔やまれながら閉店した。
喫茶の中には店主夫妻が作成したという飛行機の模型をはじめとした、海外旅行を主題とする物品が飾られていた。名物は機内食の容器に入った日替わりランチだった。
私はこの店の「もちもちとした」スパゲティが非常に好きだった。
愛知県の学校給食ではおなじみのソフト麺を彷彿とさせるあのもちもちの麺(某人は「ただ伸び切っているだけ」と云ったが……)は確実にあの店しか出せない。
私は他の店で麺を食べると硬いとすら錯覚してしまう。
最終日に来店することが叶わなかった私は今、あの和風スパゲティが非常に恋しい。

この店が喫煙可能店であることからか、近所に住んでいる高齢男性をよく見た。
彼はスポーツ紙の競馬の欄だけを目当てに、毎日同じ席で新聞を読んでいた。
他が空いていないときに私がその席に座ってしまうと、「いつもの席が……」と苦笑いしていたのが印象的だった。
名前を聞かずに別れることになってしまった彼は今、どうしているだろうか。
自動車事故の未遂を起こしがちな彼だった。免許は返納したのだろうか。
喫茶の店主夫妻は、今でも旅客機のプラモデルを作っているのだろうか。

守るべきものは確実にある。
我々はありとあらゆるものを第三者に壊され、自らでも壊してきたが、今あるものは守り抜かねばならぬ。
これ以上何かが壊れていくところなど、私は見届けたくないのである。
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