2025.08.06 Wednesday
思い込みで病むと安倍晋三が笑う
おはようございます。
来年の事を云うと鬼が笑うそうです。小田島です。
題名についていつも通り長々と書いていきたいと思っているのですが、朝からアホほど暑いせいで全く頭が回らないので、どういう意味かだけ解説しようと思います。
「そんなに興奮しないでください」
(これだけでは意味が分からない方はこの文面を検索してみてください)
以上です。
Null氏も私も「突発的な気分の激しい変調で云々」ということがひたすらに多いので、とにかく一旦深呼吸して落ち着くことは大切だ、それだけの話です。
もう一つ、人の発言について。
自分にとっては何ら問題ない発言だったとしても、相手からしたら「どでかい地雷を踏まれた」ということも過去に私達の中でもありましたので、自分の発言が人の気分をどう動かすか、特に刺激的な言葉を発しようと思っている際は、一度ひと呼吸おいて考えてから物を云いたいものだと思っています。
良かれと思ってした発言が、人の怒りに火をつけることは大いにありえますので、気をつけねばならないと云うのを最近の出来事から思いました。
最後にもう一つ、病気や薬の副作用は暴言を吐いても良い理由にはなりません。人に暴言を吐き散らかす暇があるのなら、しっかり治療をしてください。
ではまた。
2025.07.25 Friday
あたまのかたいひと
ば な な
失礼しました、一昔前のインターネットミーム(知らん人は「あたまのわるいひと」で調べてください)が出てしまいました。
交流戦でも同じことを思いましたが、やはりパ・リーグは強いんだなあとしみじみ思っています。頓宮は「とん↑ぐう↓」なのか「とんぐ↑う↓」なのか未だにわかりません。前者だと思っている、と話したら「それはピングーなんよ」と笑われました。小田島です。
私は若造のくせに中身は昭和の爺さんのようなことを云います。「男は男らしく、女は女らしく」というのは至言だと思っています。……ただし、私はここに色々な要素を追加してこの言葉を云います。
「(自分が男だと自覚のある)男は男らしく、(自分が女だと自覚のある)女は女らしく、そうじゃない奴は自分らしく」
現代的昭和ジジイの発言です。頭が硬いのか硬くないのかわかりません。なぜこんな事を云うのかというと、私は「女らしくない女」があまりにも好きではないからです(割とオブラートに包んでいる)。
方向性としては、女性らしい格好をしつつ、スカートを穿いた脚を広げたり、大口を開けて手を叩きながら笑っている女性を見ると、非常に悲しくなる、という感じです。ああもったいない、貴女の努力は全部水の泡だよ、と。ついでに云うとタレントでもないのに過剰な化粧をする男性もあまり意味を分かっていません。否定はしませんので、楽しければ自由にしていいと思います。
私の個人サイトの文章を真面目に読んでいる方々にとっては周知の事実でしょうが、小田島は「肉体女、心男」の人間です。カタカナ語が好きではない(割とオブラートに包んでいる)のですが、あえて云うのならば「トランスジェンダー男性」というわけです。そういうわけなので、Null氏はずっと私のことを「彼」と呼んでいるのです。
そんな「自称おなべ」の私を理解した気でいる人間が私に吐いた言葉を幾つか紹介してみましょう。
「残念な女だな」
「何で女を捨ててるの、もったいない」
「人相の悪い女だこと」
「さっさと男を見つけて結婚しなきゃ云々」
……等、まだまだいくらでもあります。ここで私から一言。
うるせえ。
はい。「理解した気でいる奴ら」は、とにかくうるさいのです。理解したつもりでいるだけで、一切理解をしていないからこんな事を吐くのです。
「女を捨ててるのか」という質問について、質問者は私がそれだと知っていてこう質問しているので明らかな愚問です。私にはそもそも「捨てられる女」は幼少期より存在しません。あまりにも愚かな質問です。
とにかく、人に迷惑をかけないのならば、自分の自認通りに生きていいと思うのです。
同性同士で結婚するというのも認められていいと思います。家族の絆が云々と主張する人間は、現代日本の家庭における問題をもう一度見つめ直してみるべきかと思います。決して否定派の人間に「お前らも同性同士で結婚しろ」と強制しているわけでないので、果たして何の迷惑がかかるのか……
そこまでにしろ。思想が強いぞ。
失礼しました。思想が出てしまいました。
「自分らしく生きる」というのはとにかく難しいものです。社会の全てに認められることなどまず無理です。そんな少数派の生きづらいこの現代日本を、私達は今日も共に民主党、もとい、共に生きていくのです。
それではまた次回に。
2025.07.21 Monday
狂気的文章
もしかして「俺の身体には触れろ、法には触れるな」のほうが良かったか?!
……失礼しました。
先程の試合で小幡が2回もホームランを打ったのに阪神がサヨナラ負けして泣いている小田島です。
何が正常で何が狂気かは人の感覚によって異なります。ちなみに私は前回のNull氏の文章を読んでも「おう、そうだな」となるくらいの感覚です。これは私が狂人故そう思うだけで、恐らく一般的に精神を全くお病みになっていない方々はこれを読むと「イヤーーーッ!!!!」と断末魔を発して倒れることかと思います。どういう断末魔なのかは人によって異なります。
Null氏の主張はとても良いことを云っております。間違いありません、狂人は狂人としか仲良くできないのであります。
常人と狂人が仲良くし始めると、常人はその狂気に早々と「もうええわ」となりどこかに行方をくらませます(経験済)。一方で狂人には酒類、もとい種類があります(誰だよ、このパソコンを触った呑んべえは。俺だよ)。
この世には「一般常識をわきまえた狂人」と「一般常識とは何たるかを一切理解していない狂人」の二種類が存在します。
この話題はよく二人でフランクに話すのですが、「常識的なアタオカで居よう!」と目標を立てたりしています。
そう、この世には「非常識なアタオカ」がうようよしています。
「ヘルプマークを見てはキ**イマークと笑いながら指差す」デリカシーのかけらもないアタオカから始まり、「契約書のやりとりのない仕事に高熱だというのも関わらず来るように脅して強要した挙句、支払われた賃金は7時間で5000円(時給換算にして714円、愛知県の最低賃金ってご存知?)」という労基法も知らんのに人を雇おうとするアタオカが居たり、「鬱で寝込んだ知人の家まで突撃することを全力で止めた私に付き添わせた挙句、現地に着いた途端知人の家のドアを乱暴に殴り近所迷惑になる声量で知人を呼んだ」もはや何がしたいのか分からないアタオカまで居ます。
私は自分が狂人なので、常人と仲良くしても楽しくないことは経験上理解していました。そこで「私ほどではないが頭のねじが外れたような人間」とおぼしき連中と4年くらい仲良くしていましたが、上記の通り奴らは完全に「非常識すぎるアタオカ」でした。
奴らと仲良くしていたら完全に常軌を逸するので私はその連中とは現在一切の関わりを持っていません。今も全く消息などを知りたいとは思いません。
というより、私に人間関係はもうこれ以上要らないのです。狂人同士で仲良くしようと思うと上記のような「非常識なアタオカ」に当たる確率があまりにも高いというのを完全に理解したからです。今更常人のふりをしたところで常人とは仲良くできませんし、私が常人のふりをしたら全て私のアイデンティティは消えるに等しくなります。というか俺に妙齢女性の容姿を強要するんじゃない。
私にはNull氏が居れば、それで良いのです。
その存在が私を満たすのならば、それ以外の第三者は要らないのです。
……いきなり惚気けるなと云われた気がするので話をそらします。いきなりノロケという店はありません。
ブログ名を方向性はそのままに変更して、テンプレートもTwitterらしい色のものに変えるなどしました。後の細かいところは探していただければ見つかると思います。
それではまた!「文章が全くまとまってない」は禁句!
2025.07.21 Monday
楽しい多様性
阪神ファンながら流石に金丸君がかわいそうになってきたこの頃です。中日ファンだったら「しみたつ〜〜〜〜!!!(激怒)」となっているところかと思います。小田島です。
世には「自分らしく生きる」という言葉があります。
「ナンバーワンでなくオンリーワン」だの「ありのままの姿云々」だのという歌が流行ったりもしました。何ならSDGsとやらで「多様性どうのこうの」とか云うことも大々的に話されている昨今です。
ですが、日本から同調圧力なるものはなくなりません。変な話、協調性のないちょっと変わった人間を揶揄して「多様性」という蔑称までつける風潮を聞いたことがあります。LGBTというのもよく分かっていない人たちが蔑称じみて使うことも見たことがあります。
私は以前より自覚がありますが、「変な人」です。「出る杭」であり、もっと云うならば「打つことを諦める程度に出るところまで出た杭」です。蔑称すら付けられないくらい人から避けられる程度の「変な人」です。……いや、「変な人」というのはあまりにもオブラートに包みすぎている。「狂人」だと思います。
どれくらい狂っているのかというと、それはNull氏が私の異常性についてこの場で語っていたり、自分自身のサイトで「俺はカルトの教祖だった」などと述べていたりしたのでそれについての詳細は省略します。
別の点で云うと、「世界に絶望した!死ぬ!」という発想ではなく「俺が死んだらどんな気持ちで終わっていくのだろう、面白そう、気になる〜〜」という発想から自滅的行為に走る事を良しとする思想を幼少期から抱えているというのがあります。この人が云うには、「航空機事故に巻き込まれて客死する」のにはロマンがあるそうです。不謹慎極まりないです。間違いなく狂っています。
その「狂人」というのが文字通り「自分らしく生きる」というと、確実に大変なことになります。
おそらくそれを文字通り体現してニュースを騒がせたのがあの「秘匿性のあるSNS(俺はそれがなんだか知っている、ちなみに全く秘匿性はない)」によって「キショキショ画像」を密かにやり取りしていたアホ教師どもなのだと思います。教師共、お前らは罪を認めるのならさっさと四肢と共に陽根を切り落としましょう。
私がこれによって何が云いたいのかというと、狂人が自分らしく生きることは許されると思います。ただ、法に触れるようなことはやめようというだけです。それこそ実際に人の首を絞めてその肉を喰らえば殺人と死体損壊の罪が待っております。
倫理観に欠けるような性倒錯などいくらでも存在します。それこそ多様性です。私はむしろ何もそこで歪んでいない奴のほうが「なんかある」と思ってしまうような人種です。
そんな倫理も何もないようなアレが好きなら、いくらでもその夢を見れば良いのです。いくらでもそれの真似事をすれば良いのです。ちなみに私は大昔に自作の木刀で腹を切る真似事を繰り返し執り行っていました。何をやってんだよ。
というわけなので、Null氏、ロールプレイングなら私が対応できる時に行いますので何なりとお申し付けくださいませ!法には触れるな!
2025.06.30 Monday
私はずるい人だ
私はよく「目に見えないものは無いのと同じ」という言葉を発する。
精神の病がもたらす症状というのは、ある意味一種の「幻覚」であるとも解釈できると私は思っている。
この思考は何も精神病患者の苦しみを全否定するものではなく、周りの人間がその患者を見た時はそうである、という意味が込められている。
患者が暴れる事も、口汚く誰かを罵る事も、自分を傷つける事も、全て周囲の人間にとっては加害者が患った病気が見せる「幻覚」なのである。
その暴言も暴力も加害者の本来の姿ではないからであり、病が落ち着けばその行動は嘘のようになくなることもあるからだ。
彼女(と呼んで良いのだろうか)は幾度も私に「幻覚」を見せてきた。自らを責め、幾度も自分を傷つけそうになっては私が落ち着かせてきたが、私は遂にその「幻覚」を「幻覚」だと認識できずに暴言を吐いてしまった。今は不安定さを加速させるようなとても悪いことをしてしまったと反省することしかできない。
そういうことがあったとしても、私と彼女の間の愛情は紛れもなく存在し、それは真実なのだ。「目に見えないものは無いのと同じ」かもしれないが、我々にとっては確かに「在る」のだ。我々が「そこに在る」と思っているのだから、少なくとも我々の中では「確実に存在する」ものなのだ。
何度それが壊れそうになったとしても、その破壊行動は一時的なものであり、永遠に続くわけではない「幻覚」だ。穏やかになればその幻が消えてなくなると、私は十分理解している。
だからこそ、彼女がそれを壊そうとしても、私は元通りにはならないかもしれないが丁寧に組み立て直していくのだ。
私が彼女を一途に思い続けるからこそ、この組み直しの技工は継続して行えるものだ。一途で何が悪いのか。本当の恋は死ぬまでこれきり。
2025.06.25 Wednesday
煙草は抗不安薬であるが故に
何に関しても同じ事が云えるが、摂り過ぎは身体に悪い。
1日3食というのも西洋文化の陰謀であるが、概ねその時間が決まっているので日本人は身体に悪いと思わないようだ。もはやルーティン化されてもいる。
そこでそのルーティンというのか決まりというのか、喫煙にもいつ行うのかの規則をつけるべきかと思う。
朝食後に何本、夕の仕事終わりに何本。それ以外はむやみに吸わない。
ニコチンとベンゾ系精神安定剤は程度の違いはあれど依存性がある。それ故乱用は避けて「服用」したいのだと云いたいのだ。
正しく使うからこそ本来の役割を果たすのが薬だ。乱用するからよろしくない結果が生まれるのだ。
ちなみに私が加熱式の煙草を好まないのは、「そうまでしても吸いたい訳では無い」というところが大きい。紙巻き煙草が禁止されているなら吸わなくてもいい。私はそこまでニコチンには依存しておらず、そこまでの必要性を感じていない。