2025.07.21 Monday
「日記」について
一個前の「日記」というタイトルの記事について。
あまりに残虐性が高く、投稿したものの読者さんはおろか管理者であるおだじま氏が嫌がるのではないか、と思い連絡したところ、「そのまま残す」とのことだったので、解説をします。
そもそもこれは私と彼の間で行われている交換日記としているノートに書かれた創作のなぐり書きを清書(?)したものです。
ほぼ原文ではありますが、ちょこちょこ修正したり自主規制を入れています。
私がこのようなタイプの「中二病」であることは昔から付き合いのある方はご存知かと思います。結構「その手の話」をSNSでしていましたからね。
カニバリズムを含む内容ですが、これは完全に私の「趣味」です。悪趣味でしょうが、とかくそういう内容を好みます。実際に起きた食人を含む残虐な事件などを調べ、「とある人間は『子どもの尻の肉が特に美味い』と言っていた」などの情報を得てはニンマリするなどしていました。気色が悪いです(自分でも思う)。
食人に関する事件においては「そうせざるを得なかった」というものもいくつかあります。雪山で遭難した、とか。詳しくはwebで。
話がそれました。
あの文章は、私の「あまりにも悪趣味且つ残虐な願望」を叶えさせるための創作です。冒頭にある「人を殺してみたいと言ったとき、彼は呆れ返っていた」という内容は実際にあったことです。思い出すとかなり恥ずかしいのですけど、それこそ口角を上げながらそういうことを言って、そのときはスルーされたが、あとから「あのときの貴方気色悪かったです」的なことを言われましたね。当たり前だろ。
しかしながら、そういった行為を一度でいいから経験してみたいという欲は実際にあります。誰しも一度くらいは考えたことがあるんじゃないでしょうか。それが「憎しみ」からであるか、「愛しさ」からであるか、はたまたもっと「別のもの」からであるかは色々あると思いますが。
私の場合は、「好きだから滅したい(規制表現)」と「単純に興味があるから」の2つが存在します。後者に関しては「子どもが虫の足をもいで面白がっている」レベルの感覚です。前者は「彼」の存在がなければ当然ながら生まれません。今回の「日記」では、前者8割、後者2割くらいの感じで書いていました。
ここまで書くとガチ犯罪者予備軍になってしまいそうなんですが、檻には入りたくないですし、過去の事柄(これ)もあって、「決して行ってはならない」と理解しています。この言い方をするとこれらの事象がなければ殺ってたのか?と誤解を生みそうですが、ないです。断言します。あくまで「妄想としてはよくするが、行動に起こした時点で人生は終わり」と理性がちゃんと作動しています。
なので「あまりにも悪趣味且つ残虐な願望を叶える」という理由で「日記」を書いたわけです。妄想です。
中二病って、シリアルキラーとか食人鬼とかに憧れがちなのなぜなんでしょうね?「初カキコ・・・ども・・・」とかもそうじゃないですか。私は遅れて中二病が来たといった感じでしょうかね、高校生の後半くらいから割とそういう傾向になっていきました。中学生の頃は純粋でありました。多分。
おそらく、ネットに触れるようになって、そういった残虐なものを目にする機会が増え、極めつけは「短大の芸術の講義で『映像の世紀 第二集』を見させられた」ことも原因の一つかもな、と思っています(他責)。あの芸術の講義、「戦争で顔の一部を損傷してしまった軍人を助けるべく、メガネをかける感覚でつけることができる顔を復元したマスク」をメインとしていたんですけど、あれで何かが崩れ落ちる音がしました。その頃から二次元における欠損表現やグロテスクな表現を好むようになった気がします。いわゆる「リョナ」ですね。
しかし、現実に起きたことは受け止めなければなりませんが、三次元におけるグロテスク・ゴア表現は苦しいです。結構フラッシュバック的に一度しか見ていないはずの画像が脳裏によぎったりして辛いときがあります。医療系とか特に苦しいですね。でも、医療現場では日々そういったものを目にして生活をしている人がいるわけで。
話がそれ過ぎています。性癖の話をしたかったわけではない。半分そうなんだけど。
あの「日記」は、「彼」への想いの強さがあまりにも大きくなってしまい、抱えきれなくなり爆発したもの、と捉えてもらって構いません。その一つ前の「洗脳」に関する記事は全て事実でありますが、途中から様子がおかしくなっています。冷静になって今見るとそれこそ中二病、ヤンデレじみていますが、キーボードを打つ手が止まらなくなった結果です。好きすぎるんです。
本当に。
あまりに残虐性が高く、投稿したものの読者さんはおろか管理者であるおだじま氏が嫌がるのではないか、と思い連絡したところ、「そのまま残す」とのことだったので、解説をします。
そもそもこれは私と彼の間で行われている交換日記としているノートに書かれた創作のなぐり書きを清書(?)したものです。
ほぼ原文ではありますが、ちょこちょこ修正したり自主規制を入れています。
私がこのようなタイプの「中二病」であることは昔から付き合いのある方はご存知かと思います。結構「その手の話」をSNSでしていましたからね。
カニバリズムを含む内容ですが、これは完全に私の「趣味」です。悪趣味でしょうが、とかくそういう内容を好みます。実際に起きた食人を含む残虐な事件などを調べ、「とある人間は『子どもの尻の肉が特に美味い』と言っていた」などの情報を得てはニンマリするなどしていました。気色が悪いです(自分でも思う)。
食人に関する事件においては「そうせざるを得なかった」というものもいくつかあります。雪山で遭難した、とか。詳しくはwebで。
話がそれました。
あの文章は、私の「あまりにも悪趣味且つ残虐な願望」を叶えさせるための創作です。冒頭にある「人を殺してみたいと言ったとき、彼は呆れ返っていた」という内容は実際にあったことです。思い出すとかなり恥ずかしいのですけど、それこそ口角を上げながらそういうことを言って、そのときはスルーされたが、あとから「あのときの貴方気色悪かったです」的なことを言われましたね。当たり前だろ。
しかしながら、そういった行為を一度でいいから経験してみたいという欲は実際にあります。誰しも一度くらいは考えたことがあるんじゃないでしょうか。それが「憎しみ」からであるか、「愛しさ」からであるか、はたまたもっと「別のもの」からであるかは色々あると思いますが。
私の場合は、「好きだから滅したい(規制表現)」と「単純に興味があるから」の2つが存在します。後者に関しては「子どもが虫の足をもいで面白がっている」レベルの感覚です。前者は「彼」の存在がなければ当然ながら生まれません。今回の「日記」では、前者8割、後者2割くらいの感じで書いていました。
ここまで書くとガチ犯罪者予備軍になってしまいそうなんですが、檻には入りたくないですし、過去の事柄(これ)もあって、「決して行ってはならない」と理解しています。この言い方をするとこれらの事象がなければ殺ってたのか?と誤解を生みそうですが、ないです。断言します。あくまで「妄想としてはよくするが、行動に起こした時点で人生は終わり」と理性がちゃんと作動しています。
なので「あまりにも悪趣味且つ残虐な願望を叶える」という理由で「日記」を書いたわけです。妄想です。
中二病って、シリアルキラーとか食人鬼とかに憧れがちなのなぜなんでしょうね?「初カキコ・・・ども・・・」とかもそうじゃないですか。私は遅れて中二病が来たといった感じでしょうかね、高校生の後半くらいから割とそういう傾向になっていきました。中学生の頃は純粋でありました。多分。
おそらく、ネットに触れるようになって、そういった残虐なものを目にする機会が増え、極めつけは「短大の芸術の講義で『映像の世紀 第二集』を見させられた」ことも原因の一つかもな、と思っています(他責)。あの芸術の講義、「戦争で顔の一部を損傷してしまった軍人を助けるべく、メガネをかける感覚でつけることができる顔を復元したマスク」をメインとしていたんですけど、あれで何かが崩れ落ちる音がしました。その頃から二次元における欠損表現やグロテスクな表現を好むようになった気がします。いわゆる「リョナ」ですね。
しかし、現実に起きたことは受け止めなければなりませんが、三次元におけるグロテスク・ゴア表現は苦しいです。結構フラッシュバック的に一度しか見ていないはずの画像が脳裏によぎったりして辛いときがあります。医療系とか特に苦しいですね。でも、医療現場では日々そういったものを目にして生活をしている人がいるわけで。
話がそれ過ぎています。性癖の話をしたかったわけではない。半分そうなんだけど。
あの「日記」は、「彼」への想いの強さがあまりにも大きくなってしまい、抱えきれなくなり爆発したもの、と捉えてもらって構いません。その一つ前の「洗脳」に関する記事は全て事実でありますが、途中から様子がおかしくなっています。冷静になって今見るとそれこそ中二病、ヤンデレじみていますが、キーボードを打つ手が止まらなくなった結果です。好きすぎるんです。
本当に。