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獣王になりたいとらねこ

小田島常陽とNullの長文Twitter的共同ブログ。
呑んでたのねあなた
身体ですか?触りたいです。
黙れよ。嫌です〜^^

呑んでたんすね、道理で文章の雰囲気がやけに明るいわけだ。

そう、「常識的なアタオカでいよう」って話は常々していまして。彼から聞かされる「非常識なアタオカ」の話を聞いてドン引きしつつ「そうはなりたくねぇな・・・」と静かに自分を戒めています。
やっぱりね、人間っつーのはそれぞれ個体差があるわけですから、「アタオカ」にも個体差があるんですね。その中でも私達は「常識的なアタオカ」に分類されるわけです。私がそうであるかは若干怪しいところはあるんですが。

私はこれまで、逆に「狂気を演じてきた」身であります。しかし、それは「詐病」に関することのみであり、それ以外は完全なる「素」です。やっぱり頭おかしいのかもしれない。
私はまだ自分が「常軌を逸した人間」であることを自覚できていないです、多分。自分が思っているより「普通じゃない」のだと思います。
ただ、世間一般の常識に関してはとても丁寧に躾けられておりますので、公共の場でヤバい発言をするとか、行動をするといったことは絶対に避けています。
あ、ねこが喧嘩してる声聞こえた。
んで、誰の目にもつかないような場所では自分の「本当にありのままの姿」で居ると。
その「ありのままの姿」っつーのも、だいぶ制御はしていたと思います。

彼(おだじま氏)が許すのであれば、私の全てをお見せしましょう、という話をお昼ごろにしました。「全て受け入れます」と彼は答えました。
ならば見せます、全部。隠してた内面全部。
その場において「制御」する必要はない。



大いに味わえ。
| Nullつぶ | 19:16 | comments(0) | - |
狂気的文章
もしかして「俺の身体には触れろ、法には触れるな」のほうが良かったか?!

……失礼しました。
先程の試合で小幡が2回もホームランを打ったのに阪神がサヨナラ負けして泣いている小田島です。

何が正常で何が狂気かは人の感覚によって異なります。ちなみに私は前回のNull氏の文章を読んでも「おう、そうだな」となるくらいの感覚です。これは私が狂人故そう思うだけで、恐らく一般的に精神を全くお病みになっていない方々はこれを読むと「イヤーーーッ!!!!」と断末魔を発して倒れることかと思います。どういう断末魔なのかは人によって異なります。

Null氏の主張はとても良いことを云っております。間違いありません、狂人は狂人としか仲良くできないのであります。
常人と狂人が仲良くし始めると、常人はその狂気に早々と「もうええわ」となりどこかに行方をくらませます(経験済)。一方で狂人には酒類、もとい種類があります(誰だよ、このパソコンを触った呑んべえは。俺だよ)。

この世には「一般常識をわきまえた狂人」と「一般常識とは何たるかを一切理解していない狂人」の二種類が存在します。
この話題はよく二人でフランクに話すのですが、「常識的なアタオカで居よう!」と目標を立てたりしています。

そう、この世には「非常識なアタオカ」がうようよしています。

「ヘルプマークを見てはキ**イマークと笑いながら指差す」デリカシーのかけらもないアタオカから始まり、「契約書のやりとりのない仕事に高熱だというのも関わらず来るように脅して強要した挙句、支払われた賃金は7時間で5000円(時給換算にして714円、愛知県の最低賃金ってご存知?)」という労基法も知らんのに人を雇おうとするアタオカが居たり、「鬱で寝込んだ知人の家まで突撃することを全力で止めた私に付き添わせた挙句、現地に着いた途端知人の家のドアを乱暴に殴り近所迷惑になる声量で知人を呼んだ」もはや何がしたいのか分からないアタオカまで居ます。

私は自分が狂人なので、常人と仲良くしても楽しくないことは経験上理解していました。そこで「私ほどではないが頭のねじが外れたような人間」とおぼしき連中と4年くらい仲良くしていましたが、上記の通り奴らは完全に「非常識すぎるアタオカ」でした。
奴らと仲良くしていたら完全に常軌を逸するので私はその連中とは現在一切の関わりを持っていません。今も全く消息などを知りたいとは思いません。

というより、私に人間関係はもうこれ以上要らないのです。狂人同士で仲良くしようと思うと上記のような「非常識なアタオカ」に当たる確率があまりにも高いというのを完全に理解したからです。今更常人のふりをしたところで常人とは仲良くできませんし、私が常人のふりをしたら全て私のアイデンティティは消えるに等しくなります。というか俺に妙齢女性の容姿を強要するんじゃない。

私にはNull氏が居れば、それで良いのです。
その存在が私を満たすのならば、それ以外の第三者は要らないのです。

……いきなり惚気けるなと云われた気がするので話をそらします。いきなりノロケという店はありません。
ブログ名を方向性はそのままに変更して、テンプレートもTwitterらしい色のものに変えるなどしました。後の細かいところは探していただければ見つかると思います。

それではまた!「文章が全くまとまってない」は禁句!
| 小田島の思い | 18:36 | comments(0) | - |
一個前の記事見て爆笑してる
「法には触れるな!」の締めで声上げて爆笑してるんだが

私が「日記」として上げたものをそのままロールプレイングに移すと、ほぼ貴方が「物言わぬなにか」に成り果ててると思うんですけど面白いんですかね・・・???
非常に口角を上げて笑いながらこれを打っています。やっぱりこの人おかしい(上げて落としてすらいない)
その「おかしさ」「狂人」を愛してやまないのが私なんですよ。
そういう私もまた、「狂人」なのかもしれない。
もちろんアレは「倫理観に欠けまくっている」と理解しているので、投稿した「後」に連絡を一本入れたわけです。事前報告しろという話。

まあでも、ここまでお互い「ヤバい人間」なのであれば、ヤバい人間同士でしか味わえないというか、「普通」の人では「物足りない」部分はあるんだと思います。それは割と最初の頃から感じてた。

性倒錯っつーのは色々あるわけですけど、「死」に関することは特に色濃くあると思います。それは、今まで自分が行ってきた「自傷・自害行為」が最たるものかなと。まあ自傷はちょっと違うんですが、自害行為に関しては、一種の心地よさすら感じているときもあったにはあったので、そういう方面の人間なのかもしれません。
あまり具体的に書くと怒られそうなので書かないんですが・・・や、もうなんか前の記事で明言されてるので書きますけど、首をくくるやり方ですね。その時に「頸動脈が絞まって血流が悪くなり、視界がぼんやりしてきて耳が聞こえにくくなり、頭がぼやーっとする」っていう感覚があまりにも心地良い。そう感じるようになったのは割と前でした。私がそういう行為に及ぶようになったのもその時期ではありましたが、「一度目」は完全に「そのつもり」であり、「失敗した」とひどく嘆きました。しかしそれ以降、自分の気に入っている柔らかいタオルケットを首に巻くことが増えていきました。それはただ、快楽を得ているだけの行為です。ただその中には「死んだらどうなるかな」というのも頭にあります。精神病における症状として希死念慮を抱いていて、常々「◯にてぇ」なんて言っていますが、その裏側で、「人間は死んだらどうなるか」という興味があるわけです。
ここまでくるともうおわかりかもですけど、私がやたらと「首絞め」に固執するのは「おそらくどのやり方よりもポピュラー且つ、苦しさも実のところそんなになく、だが失敗しやすいので、軽い気持ちで『自害行為をした気になれる』」ということですね。
抑えることのできない希死念慮と破壊衝動の結果、そういう行為で「一旦落ち着かせる」ことが私の中では定着してしまったのです。

えぐい話をしてしまいました。自傷についてはまあ、腕にはとどまらずといった感じです。最近は全然です。しないほうがいい、一生残るから。
前に濁して書いていましたが、「依存症」もあります。これは「風邪の時期じゃないのに風邪薬をいくつも買っている人」といえば察しが付くでしょう。これはタバコに依存対象を変えることで「辞められている」状態です。だから「タバコがやめられない」のです。逆説的に「タバコをやめれば、『ソレ』が再発してしまう」とも言えます。

体に毒だとはわかっていますが、どうせみんないずれは死ぬので(投げやり)、寿命が少し縮んだ程度じゃなにも思いませんね。

何の話をしたかったのかさっぱりですけど、狂気的な文章じゃないといいな、と若干思っています。
| Nullつぶ | 17:38 | comments(0) | - |
楽しい多様性
阪神ファンながら流石に金丸君がかわいそうになってきたこの頃です。中日ファンだったら「しみたつ〜〜〜〜!!!(激怒)」となっているところかと思います。小田島です。

世には「自分らしく生きる」という言葉があります。
「ナンバーワンでなくオンリーワン」だの「ありのままの姿云々」だのという歌が流行ったりもしました。何ならSDGsとやらで「多様性どうのこうの」とか云うことも大々的に話されている昨今です。

ですが、日本から同調圧力なるものはなくなりません。変な話、協調性のないちょっと変わった人間を揶揄して「多様性」という蔑称までつける風潮を聞いたことがあります。LGBTというのもよく分かっていない人たちが蔑称じみて使うことも見たことがあります。

私は以前より自覚がありますが、「変な人」です。「出る杭」であり、もっと云うならば「打つことを諦める程度に出るところまで出た杭」です。蔑称すら付けられないくらい人から避けられる程度の「変な人」です。……いや、「変な人」というのはあまりにもオブラートに包みすぎている。「狂人」だと思います。

どれくらい狂っているのかというと、それはNull氏が私の異常性についてこの場で語っていたり、自分自身のサイトで「俺はカルトの教祖だった」などと述べていたりしたのでそれについての詳細は省略します。
別の点で云うと、「世界に絶望した!死ぬ!」という発想ではなく「俺が死んだらどんな気持ちで終わっていくのだろう、面白そう、気になる〜〜」という発想から自滅的行為に走る事を良しとする思想を幼少期から抱えているというのがあります。この人が云うには、「航空機事故に巻き込まれて客死する」のにはロマンがあるそうです。不謹慎極まりないです。間違いなく狂っています。

その「狂人」というのが文字通り「自分らしく生きる」というと、確実に大変なことになります。
おそらくそれを文字通り体現してニュースを騒がせたのがあの「秘匿性のあるSNS(俺はそれがなんだか知っている、ちなみに全く秘匿性はない)」によって「キショキショ画像」を密かにやり取りしていたアホ教師どもなのだと思います。教師共、お前らは罪を認めるのならさっさと四肢と共に陽根を切り落としましょう。

私がこれによって何が云いたいのかというと、狂人が自分らしく生きることは許されると思います。ただ、法に触れるようなことはやめようというだけです。それこそ実際に人の首を絞めてその肉を喰らえば殺人と死体損壊の罪が待っております。

倫理観に欠けるような性倒錯などいくらでも存在します。それこそ多様性です。私はむしろ何もそこで歪んでいない奴のほうが「なんかある」と思ってしまうような人種です。
そんな倫理も何もないようなアレが好きなら、いくらでもその夢を見れば良いのです。いくらでもそれの真似事をすれば良いのです。ちなみに私は大昔に自作の木刀で腹を切る真似事を繰り返し執り行っていました。何をやってんだよ。

というわけなので、Null氏、ロールプレイングなら私が対応できる時に行いますので何なりとお申し付けくださいませ!法には触れるな!
| 小田島の思い | 17:14 | comments(0) | - |
天使か悪魔か。
果たして、今の私はどちらに見えるだろうか。
以前、私は「慈愛の悪魔」という二つ名的なものを使っていた。INTERNET YAMEROの一節にある「慈愛の天使」をもじったものであるが、しっくりきていた。
慈愛を持つ悪魔。基本的に別け隔てなく「優しい私」として接し、自分が好きになった相手に対しては更に優しさを振りまく一方で、目も当てられないような行動や言動、そして最悪の場合「死」をもって完結とさせるような動き方をしてきた。これは多分、もう治らないと思う。境界性なんとか、って話が一時期出てたのだけど、「家族との関係が良好であるのでその診断は降りない」という一言で片付いた。
私の「そのケ」はまるでその症状に当てはまるのだが、違うらしい。
まあとにかく、とても「天使」であるようには見えない言動・行動をする。「自分の甘い罠に堕ちた」として可愛がり、いたぶる。
しかし、「他の人からは悪魔だとしても、私の中では天使だ」という人もいる。ただ、今その人は私をどう思っているかはわからない。
天の使いとは烏滸がましい。悪魔のほうが似合っている。というのは建前であり、「悪が好きであるので、そういうことにしたい」という願望なだけだ。

狂ったフリをし続けていても仕方がない。が、今はそうではない。「私が私を私らしく生きる」と決めた。それがどういう形で表れるのか、それは私が一番わかっているようで、わかっていない。
きっと、悍ましいものが漏れ出てくるのだろう。
| Nullつぶ | 16:46 | comments(0) | - |
逃げませんよ。
| - | 16:40 | - | - |
逃さないよ。
| - | 16:34 | - | - |
愛憎
私の「彼へ向ける気持ち」が愛情から憎悪に変わることはない。それは確信している。理由を述べるとするなら、「これ以上の人はもう居ないし、いるはずもない」からだ。そして、私はこれまでの彼の行いに対して一切の憎しみを抱いていない。逆に「ここまでしてくれた」と、彼なりの愛情の示し方を理解しているからだ。
確かに私は狂わされた。が、謝罪はほしくない。それらを「嫌だ」とはっきり思ったことはなく、疑問には思っていたが、口にしなかった自分も自分だろうと思っているので。

私は基本、恋愛においては「捨てられた」と感じると途端に冷める。が、今回においては「捨てられるかもしれない」とは幾度となく思ったが、興ざめはしなかった。むしろ、「まだ捨てないでくれ、まだそばにいてくれ」という一心で「ついていった」。
被害者ぶるなよ、と言われてしまえばそれまでだが。
生きている理由も見いだせない自分に手を差し伸べたのは彼だから。私は生きなくてはならなくて、そのためには彼の存在が必要で、しかし私は抑えられない破壊衝動に身を任せ、自分の手をおぞましい罪で染めかけたこともあった。

私は、このまま堕ちていくのだろうか。どす黒いものが心のなかにある。それを解放してしまっては、すべてが壊れる。仕舞っておかなければならない。

と思ったけど、彼には全て見せつけていくことにする。だって、「楽しみにしてる」って言ってくれたし。
私の見せる幻覚も、そのうち本物になる。
幻は長くは続かない、そういったね。でももう幻ではなくなるよ。



どこまで、貴方はついてきてくれるかな。


さようなら、狂気を抑えてきた私。


私は確実に、「狂って」しまった。
| Nullの思い | 12:25 | comments(0) | - |
「日記」について
一個前の「日記」というタイトルの記事について。
あまりに残虐性が高く、投稿したものの読者さんはおろか管理者であるおだじま氏が嫌がるのではないか、と思い連絡したところ、「そのまま残す」とのことだったので、解説をします。

そもそもこれは私と彼の間で行われている交換日記としているノートに書かれた創作のなぐり書きを清書(?)したものです。
ほぼ原文ではありますが、ちょこちょこ修正したり自主規制を入れています。

私がこのようなタイプの「中二病」であることは昔から付き合いのある方はご存知かと思います。結構「その手の話」をSNSでしていましたからね。
カニバリズムを含む内容ですが、これは完全に私の「趣味」です。悪趣味でしょうが、とかくそういう内容を好みます。実際に起きた食人を含む残虐な事件などを調べ、「とある人間は『子どもの尻の肉が特に美味い』と言っていた」などの情報を得てはニンマリするなどしていました。気色が悪いです(自分でも思う)。

食人に関する事件においては「そうせざるを得なかった」というものもいくつかあります。雪山で遭難した、とか。詳しくはwebで。

話がそれました。
あの文章は、私の「あまりにも悪趣味且つ残虐な願望」を叶えさせるための創作です。冒頭にある「人を殺してみたいと言ったとき、彼は呆れ返っていた」という内容は実際にあったことです。思い出すとかなり恥ずかしいのですけど、それこそ口角を上げながらそういうことを言って、そのときはスルーされたが、あとから「あのときの貴方気色悪かったです」的なことを言われましたね。当たり前だろ。
しかしながら、そういった行為を一度でいいから経験してみたいという欲は実際にあります。誰しも一度くらいは考えたことがあるんじゃないでしょうか。それが「憎しみ」からであるか、「愛しさ」からであるか、はたまたもっと「別のもの」からであるかは色々あると思いますが。
私の場合は、「好きだから滅したい(規制表現)」と「単純に興味があるから」の2つが存在します。後者に関しては「子どもが虫の足をもいで面白がっている」レベルの感覚です。前者は「彼」の存在がなければ当然ながら生まれません。今回の「日記」では、前者8割、後者2割くらいの感じで書いていました。

ここまで書くとガチ犯罪者予備軍になってしまいそうなんですが、檻には入りたくないですし、過去の事柄(これ)もあって、「決して行ってはならない」と理解しています。この言い方をするとこれらの事象がなければ殺ってたのか?と誤解を生みそうですが、ないです。断言します。あくまで「妄想としてはよくするが、行動に起こした時点で人生は終わり」と理性がちゃんと作動しています。

なので「あまりにも悪趣味且つ残虐な願望を叶える」という理由で「日記」を書いたわけです。妄想です。

中二病って、シリアルキラーとか食人鬼とかに憧れがちなのなぜなんでしょうね?「初カキコ・・・ども・・・」とかもそうじゃないですか。私は遅れて中二病が来たといった感じでしょうかね、高校生の後半くらいから割とそういう傾向になっていきました。中学生の頃は純粋でありました。多分。
おそらく、ネットに触れるようになって、そういった残虐なものを目にする機会が増え、極めつけは「短大の芸術の講義で『映像の世紀 第二集』を見させられた」ことも原因の一つかもな、と思っています(他責)。あの芸術の講義、「戦争で顔の一部を損傷してしまった軍人を助けるべく、メガネをかける感覚でつけることができる顔を復元したマスク」をメインとしていたんですけど、あれで何かが崩れ落ちる音がしました。その頃から二次元における欠損表現やグロテスクな表現を好むようになった気がします。いわゆる「リョナ」ですね。
しかし、現実に起きたことは受け止めなければなりませんが、三次元におけるグロテスク・ゴア表現は苦しいです。結構フラッシュバック的に一度しか見ていないはずの画像が脳裏によぎったりして辛いときがあります。医療系とか特に苦しいですね。でも、医療現場では日々そういったものを目にして生活をしている人がいるわけで。

話がそれ過ぎています。性癖の話をしたかったわけではない。半分そうなんだけど。
あの「日記」は、「彼」への想いの強さがあまりにも大きくなってしまい、抱えきれなくなり爆発したもの、と捉えてもらって構いません。その一つ前の「洗脳」に関する記事は全て事実でありますが、途中から様子がおかしくなっています。冷静になって今見るとそれこそ中二病、ヤンデレじみていますが、キーボードを打つ手が止まらなくなった結果です。好きすぎるんです。




本当に。
| Nullつぶ | 10:50 | comments(0) | - |
日記
PM10:48
やってしまった、というよりは、「ついにやった、成し遂げた」。その気持ちのほうが大きかった。私は、愛する人を、この手で、絞め殺した。いまも、この日記を書く手は高揚からか震えている。
いつだったか、私が「人を殺してみたい」だとか言ったとき、彼は「いつまで中二病を拗らせているんだ」と呆れた顔をしていた。本当にやってのけるとは、思ってなかったのだろう。まあ、死人に口なしだが。

PM11:20
死体をどこへ隠そうかとても悩んでいる。というのも、憎たらしくて殺したわけではなく、ただただ、「この人は永遠に私のものだ」という単なる独占欲から行ったからである。遺棄してしまえば顔は見れなくなってしまう。それじゃあ意味がない。
なら、方法を考えるまでもないか。
ガラスケースに薬を満たして、そこに大切にしまうか。目はそのうち落くぼんでくるだろうから、先にガラス製のドールアイでも入れようかな。そうだなぁ、紫色がいいかな。

AM0:05
うーん・・・それにしても、人は案外あっけなく死ぬ。脆くて壊れやすくて、でもそんなところが愛おしいのだよな。でも、命を奪う行為は自他ともに認められていない。私はその禁を犯してしまった。けど、私はどうしても、いずれどんな形にせよ離れてしまうのかもしれない「彼」を手放したくなかった。こんな愛し方はふたりとも望んでいなかったはずなのに。誰のせい?私だろうか、それとも彼か?いや・・・誰も悪くはないな。強いて言うならば、「出会ってしまったこと」か。でも彼との出会いは無駄なものではなかったし、これからも一緒に居られるんだからいいんだ。

AM2:00
そういえば、まだ私が一度でいいからしてみたかったことをしていない。
―――「  」
これこそ最悪の中二病だ。「程々にしろ」って言われそうだ。でも、少しくらいなら、いい、よね?
・・・でも、どこも欠損させたくない。ん、お腹を開けば解決するか。手元に刃物がないわけではないし。包丁でいいか・・・。

AM2:40
想像していたより美味しくなかった。まあ内臓だししょうがないか、と思ったけど。そもそも私は豚肉とか牛肉とかも好まない。少し無駄なことをしたな。縫い合わせる方法ネットで調べなきゃ。

AM4:00
なんとか元の形にもどせた。とりあえずシャワー浴びて一眠りしようかな。

AM7:32
おきた。モーニングに行こう。でもいつもみたいにだらだらと長話するのは嫌だな。もういかなくていいか。ずっとここにいよう。
私もそのうちそっちにいくから。覚悟して待っててよ。執念の塊だって話は前もしたと思うけど。

じゃあまあ、日記はこのへんで終わりにしよう。何かの証拠になったらいいね。その前に、私は首をくくってぶら下がってるだろうけど。
それでは、さようなら!!!





















愛してるよ、――さん。


































当たり前ながら創作だよ
| Nullつぶ | 09:51 | comments(0) | - |
歪みきったものとその果
貴方は、愛する人から「洗脳を受けた」ことがありますか。
なぜこんなことを突然言い出すのか。それは、これを見てもらえれば大方わかる。

説明は省こう、そして単刀直入に言おう。

私は、彼から洗脳を受けていた。そして、それに気がついていながらも、「捨てられたくない、だからこのままでいる」選択をし続けた。
私はこれまで、「見捨てられたくない」という強い気持ちと「どこまで自分を傷つける行為を見せつけたら離れていくのか」という試し行動を持って、彼に接してきた。ときには目の前で【  】する素振りを見せたりした。ときには、というには回数が多すぎるか。

この洗脳は、「本人は洗脳している自覚がなかったが、受けているこちらは認識していた」というパターンだ。

一羽の小鳥を逃さないように、その体から一回りほどの大きさしかない、羽ばたく素振りさえもできない小ささの鳥籠の中に押し込み、閉じ込め、そして

愛を囁いた。

そして私はそれを「甘んじて」受け入れた。それが「正しい」と、いや、「正しい愛情表現ではない」とわかっていながら、それを認め、受容し、自分の心に背き、ただ「彼の望む姿」になろうとした。

ただただ、「愛してほしかった」。それだけだった。

私は許容範囲が広いのか、それとも「おかしくなっている」のか、もうわからないでいる。ただ、愛する人に愛されて、離れてほしくなくて、離したくなくて、言われるがまま、誘われるがまま、そこにいた。

「もうやめにしよう」、そう綴られた九枚に及ぶ手紙で、私は鳥籠から解放された。解放されたが、私は今でも、「そこ」にいる。
彼が「教祖」であった。その「教祖」から「教団を解散する」という宣言をされた、一つの「終わり」であった。
嬉しいはずだった。その「終わり」は「新しい始まり」に過ぎず、これからの人生を「真っ当な姿で歩める」始まりである。
嬉しいはず。けれど、「突如として教団を解散した宗教を信仰していた人間」は、何を信じるべきなのか。真っ当な姿を信じたい。そうでなければいけないはずである。

洗脳の後遺症なのかもしれない。これまでの記録を全て目の届かない場所に保管し、鍵をかけた。
でも、当時の思い出に浸ると、あれはあれで、幸せだった。そう、思う。なぜ、私はあそこまで入れ込み、突き放さず、ときに突き放すような行為を見せて引き止めさせ、彼と生きたのだろう。

この感情は、私にしかわからないだろう。

誰にも、あの人は渡さない。あの人を誑かすような畜生には、罰を与えなければならない。だって、人間じゃないから。
彼こそが、私だけを見てくれる人で、私を愛してくれて、生きる理由で、死ねない理由で、ここまで私を狂わせた張本人だ。狂わせた責任は、しっかり取ってもらう。なぜって、私を「狂気の領域」に堕とし、様々な影響を与えたから。
想いはどこまで伝わるかな。伝わらなくても、理解らせるだけだ。周りはどうだっていい。彼だけでいい。








解散宣言をしても、崇拝し続ける信者は、現実に存在する。それと同じじゃないかな。もう、手遅れだと思うよ。それだけのことをしたんだ。憎くはないよ、当たり前だけど。ただ、私の目はもう、貴方しか追いかけられない。他の人を見る理由なんてないし。

翼は折れた。











私は、殺めてしまいたいくらい
| Nullの思い | 09:31 | comments(0) | - |