2025.07.10 Thursday

「Nullつぶ」本人に怒られたら修正します。→怒ってません、おもろいからヨシ!

いや、それが今回のタイトルなのかって言われたらめちゃくちゃ違うんですけど、目に止まったので。

本題。本日動画を5本アップロードしました。

まず1つ目。
化けの花/なきそ
こちら、昨日アップロードしていたものですが、修正箇所を見つけたので、修正して改めてアップしました。ダークな曲で感情込め込めなので、普段のNullうたよりも違った雰囲気を楽しめるかと思います。

2つ目。昨日の記事で「旧マイクで録音したものを再収録してアップする」と宣言した通り、朝の8時半から昼まで録音、昼からミキシング、動画と音声の合成、アップロードを済ませました。
かなり適当になってしまっているものもある気がするので、また修正する可能性あり。
ひとまずリンクを貼ります。
モニタリング/DECO*27
テレパシ/DECO*27
全部夢だった!/黒うさぎ(7/11 修正版アップしました)
雑魚/柊マグネタイト
この4本です。旧バージョンも残しておりますので、比較して聴いてみると、明らかに歌声が明瞭になっていると思います。
動画の最後のカードに旧バージョンをつけております。再生リストからも見れますのでよしなに。

暑い日が続きます。戻り梅雨みたいな感じの天気予報にうんざりしていますが、体調を崩さないよう適切な睡眠時間の確保、食事に気をつけてまいります。
それではまた。

2025.07.09 Wednesday

阪神が10連勝という凄まじい記録を叩き出してニッコリしている小田島です。
微調整程度ですが色々とブログをいじったので、今回はその報告をします。

1.ブログ記事の分類をわかりやすくしました
今まで私とNull氏の記事が混在していた分類でしたが、今回Null氏の要望から「Null氏の宣伝」という分類を作成し、それと同時に二人の記事が混在しないような分類をしました。「Nullつぶ」というのはNull氏の呟きという意味ですが、私の精一杯の「おふざけ」だと思ってください。語呂が良かったのです。本人に怒られたら修正します。

2.その他諸々
番号を付してはみましたが、意外といじった場所はありませんでした。
もしかしたら細かすぎて伝わらない場所などあるかもしれないので、お暇でしたら探していただきたく思います。アレがアレしているかもしれません(語彙力皆無)。

アホのような暑さで溶けてしまいそうですが、皆様溶けぬようにお過ごしください。ではまた。

2025.07.09 Wednesday

あつすぎる
いやもう、本当に暑すぎる。去年もきっとこう言って、「去年より暑くないか」と言っていた気がする。
出かけた日の夜は大概どこか不調を訴えるようになった。
夏バテなのか熱中症のなりかけなのかはわからない。
ただ、ものを食べると吐き気を催すことが増えている。
今日も晩飯にラーメンを食べて帰ってきたのだが、それからあと絶妙に吐き気がしている。ブログなど更新していないで早く寝るべき。

明日は午前中誰も家におらず、且つ喫茶店は定休日だ。完全に時間に縛られることなく過ごす日なので、過去の「旧マイクで収録した四本の動画」の作り直しをしようと思う。といっても4本だけなのでサクッと終わるはずだ。しっかり寝て、いつも通りおきて朝飯は自分でパンでも焼いて食べ、さっさと録音とミキシングを済ませてアップロードしようと思っている。
歌ってみた動画の最初の4本(モニタリング〜雑魚)は前使っていた音質があまり良くないもので収録されていたのだが、あまりにも声が籠もっていることに気がついたので、気になって仕方がなくなった。それに、歌い慣れた今ではだいぶ違った雰囲気になるのではないかなと。前の動画は消さず、BigBrotherの旧動画のように「OLD VERSION」とタイトルの頭につけて概要欄に新録版のURLを貼り付ける形で行こうと思う。無事投稿されたらまたこちらでもお知らせします。

今回はこのへんで。

2025.07.08 Tuesday

共同ブログの管理者であるおだじま氏の個人サイトに「Nullの文言」として「人間の生命とは軽くも重くもなく、儚い」というものが掲載されていたが、まさにそうだと思っている。
重いとか軽いとか、そういう範疇にはなく、ただ平等に「儚い」のである。
それは、幾度となく経験してきた人の死や、ひいては自分の死に至る行為で学んだことである。
こんなことを言っていると「この人は病気だ」と捉えかねられないが、それでもいい。私は私でそう思っているだけなので。押し付けたりするつもりは一切ない。
ただし、私の中では「そうである」だけだ。
何度彼の目の前で首をくくる仕草をして全力で止められたのかもう数え切れない。
あげく自分自身で「やばい」と思った頃には精神科に入院している始末である。
たいてい3日くらいで出てくるわけだが、それでも入院しただけで人生観、死生観が変わるはずもなく、ただただ「とっくに生き抜きすぎていたが、なおも収まらぬ鼓動(もうたすからない/ワヲン氏より引用)」という言葉に対して、「ただ惰性で生きてきているのだから、しかたなく生きている」。ただそれだけなのだ。
人はいずれ死ぬ。それは確定事項だ。それが寿命、不慮の事故、他害、自害行為によるものであるかはその時にしかわからない。

私は「試し行動」が著しく酷い。それもこれも、ただ、「まだ止めてくれるのだから、この人はまだ私のことを大事に思ってくれているのだ」という安堵感を得るためだけだとしたら、悪癖にもほどがある。
これ、どうにかならないかな、とぼんやり考えているところである。

2025.07.08 Tuesday

過去名義が死ぬほどありますが。
最初の記事で紹介した通り、私はかなりの数の過去名義が存在しています。そしてそれを検索エンジンにかけると、結構過去の遺物が見つかります。物によってはサイト管理者に削除要請を出したり、削除されても検索エンジンに残っている場合はエンジン側に削除要請を出しています。今はなんかそれで必死になってる感じ。
というのも、UTAU音源の名称を変更し再配布開始したわけですが、音源も中の人(=私)も過去名義でウェブに載っているわけです。しかしそのどれもが動画埋め込みサイトで、リンク切れしているのでそこから過去の動画を漁ってもなにもでてこないのです。消してるんだから当たり前ですけど。
なので跡形もなく「消えたい」欲望でそれらの削除要請をかけて回っているわけです。
わざわざ最初の記事でほぼ全ての名義を公開したのは、自分で検索してページを消して回るためでもあったんですね。
中にはもうその名義では活動されていないイラストレーターさんや歌い手さんがいるわけですが、投稿は消されていないので、少しだけ元データが残っていて見ることができたりします。気になる方は検索してみてください。

今日はこのへんで。

2025.07.07 Monday

ニコ厨のおまいら!待たせたな!
まあUTAUカバー動画しかないんですけども。というのも、歌ってみたも上げていると一般会員の動画本数上限50本に簡単に達してしまうのです。

そんなわけで今日は宣伝です。

まず1つ目。ニコニコアカウント作ったよのお話
ustやらVBやらの配布はニコニコのほうが比較的伸びやすい気がしまして。
ニコニコ

2つ目。
UTAU音源+ust配布。
こちらは以前アップロードしていた、核P-MODEL氏のBig Brotherのカバーをリメイクしたものです。
いわゆる「バカコーラス」の音数が明らかに足りてなかったり、そもそもデータぶっ飛んだりしていたので、徹夜して一から作り直しました。モーニング食べてからちゃんと昼まで寝ました。
【UTAUカバー】Big Brother【ust+VB配布】YouTube版 ニコニコ版

3つ目。歌ってみた2本あげました。
ELECT/niki
メフィスト/女王蜂

メフィストについては、男性キーのものを原キーで歌っているので、最後のほうがめちゃくちゃしんどそうに聞こえると思います。しんどかったです。キー上げればよかった。

では、今日はこの辺で。またこんど!(twhz)

2025.07.03 Thursday

「すべての連絡先を削除したりアカウントを消して逃げる癖」
本当に悪い癖だと思う。そしてあとあと後悔するのは自分。
Twitter、Bluesky、mixi2、Discord、LINE・・・。
いろんなアカウントを消しては「一つ魂が消えた」として、「新たな自分」を生きようとする。それは、ただただ、関わりたくない人がフォロワーに一人でもできてしまったから、ただそれだけだったりする。それでも、今名乗っている名前を捨てて、まっさらな自分(アカウント)で生きようとする。今はSNSの類はやっていないが、それに似たようなことを昨晩行った。それも、「大切な人」に対してだった。ほんの些細なことだった。そんなことで?というような、本当に些細なこと。それでも私は「嫌になっちゃった」と、大切な人の連絡先をすべて消した。それから「もし気が変わったら・・・」という趣旨の連絡をSMS経由でもらって、「ばーか、私はまだ貴方のことが好きなんだよ」と送って、「今まで通り、では良くない。だからすこし付き合い方を変えよう」と言ってそれを「理由」とした。
ほんの20分ほどの間だったと思う、litlinkからも、このブログのリンクを削除したり、ブックマークから大切な人のサイトを消したりしていたが、すぐ復活させた。何がしたかったのか、もう思い出せない。おそらく、ほんの些細なことを「もう怒ってないよ」と言ったが「まだ怒ってるだろう」と指摘され、「情緒の不安定さは病気からくるそれではないように思う」とも指摘され、瞬間湯沸かし的に沸騰したのだと思う。文面でしかやり取りをしていないのだから、いくらでも取り繕えたはずだが、私はあえてそこで「あーわかりましたよ、全部消せば良いんでしょ、わかったわかった。こういう反応が貴方は気に食わないんでしょう。指先一つで全部消せるんだよ。」と送って全て消したのだ。あまりにも幼稚だったと思う。
そして一時の気の迷いで全て消し、あとから送られたメッセージを見て「ああ、この人は決して私のことを嫌ったわけじゃないんだ」と確信した。「さようなら」とも書かれていたが、私は「さようなら」なんて一言も言っていなかった。その時点では事実上「別れた」ことになっていたが、最後に「気が変わったら、連絡して。私はずっと待ってるから」と添えられていて、心臓が高鳴った。やっぱりこの人しかいないんだ、そう改めて思わされた。
その日は、手紙が届いていた。だが、開封する気になれなかった。今日になって開封して、驚いた。「回り道をしたとしても、手を取りって生きていこう、一途で何が悪いのか」と。

私が一番、ばかだった。
君はずるい人だ。

私達には決定的に苦手なことがある。SNSとチャットだ。この件ではっきりわかった。SNSで不要な発言をして相手を戸惑わせる、チャットで「そうと決まったわけではないのにそうだと深読みして思い込んで嫌な気分になる」ことが多すぎた。
だからこれからは、ショートメッセージかメールで一日数回程度のやり取り、それと手紙。この3つの手段のみでやっていこうという話になった。結果的に私が連絡先を絶ったのは「感謝」された。多分このままこの方式でやり取りを続けていたらもっと酷いことが起きていた可能性が十分にある。
現代人ながら、その手のものを使わずに生きるのも、ありなんだなと思わされた。

2025.07.02 Wednesday

3年前から使っているWebメールのサーバーがいっぱいになりそうだと通知が来たので、余計なものを削除するのも兼ねて色々と見返していた。

SDGsの流れで名古屋のあちこちに設置されていた、賞味期限が切れそうな食品を安く売るフードロス対策の自販機で買い物をした時のメールが大量に残されていた。「fuubo」という名前だったらしいが、もはやその自販機は名古屋のどこにも見当たらない。

携帯電話でルーテル教会の聖書日課メルマガを購読していた時の名残まで出てきた。この頃は自分が非常に信心深い人間だったとすぐに理解できる。止めたり始めたりを繰り返しているのが見受けられるのも私らしいなと思った。

私がパソコンケースとして使っているクロッキーブックのマルチケースを買ったのは3年前の今頃だったらしい。3年前の今頃、私はリポビタンDを飲むのにはまっていたらしい。元職場の大先輩が「疲れが取れてよく眠れるものもある」と強く勧めて差し入れとして私に買ってくれていたのを思い出す。

変な別れ方をした元恋人からの再会を喜ぶメール(その後再び音信不通となり、消息は不明)、悪友の送りつけてくる怪文書、意味不明な迷惑メールの類までサーバーには残っており、今となっては絶妙に笑いを誘う。

そんな中に紛れていたのが、もう5年以上顔を見ていない祖父からのメールだった。
「こういうものには疎いから、ごめんね」という書き出しだった。3年前の夏の時点で、祖母は押し車を使っても自由に歩けないという状況であり、祖父自身も暑すぎて施設から余り外に出ていない、という内容が書いてあった。疎いと云いつつも「LINEで通話ができたら嬉しい」と云う内容まで添えられていた。
その3年前の夏のメールを最後に、祖父からの音信は絶えた。

そこから夏を数回迎えたわけだが、祖父祖母はどうしているだろうか。私が一方的に送っている手紙について「喜んでいる」とは人伝いに聞いているが、本人から直接その気持ちを受け取ったわけではない。

メールをもらえたあの夏が「最期の夏」なのだろうかと不吉ながら思ってしまうが、思いたくない私も確かにいる。
また、何かの形でやり取りせねばならない。やり取りができるうちに。

2025.06.30 Monday

私はよく「目に見えないものは無いのと同じ」という言葉を発する。

精神の病がもたらす症状というのは、ある意味一種の「幻覚」であるとも解釈できると私は思っている。
この思考は何も精神病患者の苦しみを全否定するものではなく、周りの人間がその患者を見た時はそうである、という意味が込められている。
患者が暴れる事も、口汚く誰かを罵る事も、自分を傷つける事も、全て周囲の人間にとっては加害者が患った病気が見せる「幻覚」なのである。

その暴言も暴力も加害者の本来の姿ではないからであり、病が落ち着けばその行動は嘘のようになくなることもあるからだ。

彼女(と呼んで良いのだろうか)は幾度も私に「幻覚」を見せてきた。自らを責め、幾度も自分を傷つけそうになっては私が落ち着かせてきたが、私は遂にその「幻覚」を「幻覚」だと認識できずに暴言を吐いてしまった。今は不安定さを加速させるようなとても悪いことをしてしまったと反省することしかできない。

そういうことがあったとしても、私と彼女の間の愛情は紛れもなく存在し、それは真実なのだ。「目に見えないものは無いのと同じ」かもしれないが、我々にとっては確かに「在る」のだ。我々が「そこに在る」と思っているのだから、少なくとも我々の中では「確実に存在する」ものなのだ。

何度それが壊れそうになったとしても、その破壊行動は一時的なものであり、永遠に続くわけではない「幻覚」だ。穏やかになればその幻が消えてなくなると、私は十分理解している。
だからこそ、彼女がそれを壊そうとしても、私は元通りにはならないかもしれないが丁寧に組み立て直していくのだ。

私が彼女を一途に思い続けるからこそ、この組み直しの技工は継続して行えるものだ。一途で何が悪いのか。本当の恋は死ぬまでこれきり。

2025.06.29 Sunday

なんで名前が「Null」なんですか?

その答えは一つだけだ。「私の存在はない」からだ。じゃあ誰がこの文章を書いているのか、と言われたら、「私」である。ゴーストライターなどではない。

そう、私はいつの頃からか「Null」というワードを名前にするようになった。別名義としてだが。それを主たる名義として使うようになったのはこの一年位の話である。

タイトルの「Nullと0とUndefinedとNon-Zero Valueと。」は、ご存じの方もたくさんいらっしゃるだろうが、プログラミング言語における「紛らわしい4つの単語」である。
検索していただければわかるが、「トイレットペーパーの芯を用いた解説」がとてもわかりやすい。

・Non-Zero Value: トイレットペーパーの「完全体」
・0: トイレットペーパーが「芯だけ」になった
・Null: トイレットペーパーホルダーだけで、「ペーパーは存在しない」
・Undefined: ホルダーも何も無い

そう、Nullというのは「ホルダーは存在しているが、肝心なペーパーは存在していない」のだ。
それに当てはめて言うのであれば、「私」という「器」は存在しているが、「私」という「物質」は存在していない。

もちろん、手はある。キーボードも打てるし、絵も描くし、声帯もあるから歌も歌う。

でも、「存在していないことにしたい」のだ。
Nullなんて名前、正直ありふれている。どこにだっている。だからこそだ。ありふれた存在に「紛れる」ことで「自分の存在を隠そうとしている」のだ。

何いってんだこいつ、と思うだろうが、私は私をなかったことにしたい人間だ。だからせめてインターネットの海の中では、「最初からそんな人、いませんよ。」という「設定」で居るのだ。

そう、私はどこにでもいるようで、どこにもいない。





さて、問題です。
これを執筆したのは誰でしょう?
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